考えてみると、自分は今まで「 お人好し」と「 優しい」を混同してた気がする
今朝朝食を作ってた時にふと浮かんだ感覚
いきなり、どこから来たのか知らないけど、
いい気付き。
人間の脳の仕組みってほんとおもしろい
今まで考えたこともなかったことをいきなり思い付いて、
そしてそれが結構いろんなことを繋げてくれたりする
ひとりっこに生まれたから
「一人っ子だから仕方ないよね・・・」 って言われたくなくて
わがままって思われたくなくて
友達のやりたいことを聞くようになった。
なまじ勉強も運動もできたから
何か言うとみんなよく賛成してきたから
自分の発言が影響力を持ってたから
その影響力、その感覚が嫌で、意見を言わなくなった。
自分のやりたいこと、思うことより、友達のやりたいことを優先してたかった。
頼まれたり希望言われたら、なんでも聞き入れていたかった。
そうすることによって、自分を安心させてた
「よし、自分は一人っ子っぽく振舞ってない」って。
それがいつからか、なんにでも「うん」っていう自分になってた。
嫌われたくないから
煙たがられたくないから
でもさ、そういう子ってつまらない
今でも友達とグループでいると、なにか決める時に意見あんまり言わない
小学校の時の感覚が体に染み付いてて、
自意識過剰なんだろうけど、
「もし自分がここでなんか提案したら、みんなに私のやりたいことをやらせることになっちゃう」って。
指揮を取ることを期待されてる場面ではやりやすい
むしろ、楽しいし好き
ただ、他の場面、プライベートでは、
着いて行く側なの、たまにつまらないし嫌だけど
提案して引っ張ってく側の時に感じるあの感覚の方がもっと嫌だから
やっぱり着いて行く。
お母さんによく
「なんでそんなにお人好しなの。もっと自分を持ちなさい!」って言われてきた。
自分がないわけじゃないって反発した。
でも今考えると、つまりは自分がなかったんだな。
受け入れる範囲と断る部分の線引きができてなかった。
自分が、なにが大事だと思うか、なにを大事にするかっていう核が
明確じゃなかった。
つまり、ただのお人好し。
でも最近は、筋の通った優しさを身につけ始めている気がする。
おかしいと思うことはおかしいし、ずれてると感じることはずれてる。
自分の感覚もっと信じていいんだって思い始めてる。
そう思わせてくれる友達に恵まれた。
たまりに溜まって友達に相談すると、よく驚かれる
「よくそれ我慢できたね」って。
でもやっぱりまだ、訝りとか疑問をぶつけるのは苦手分野。
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